大潟村のジオサイト

大潟村発祥の地
八郎潟干拓碑

 干拓とは、堤防で囲まれた干拓地の水をくみ出し、陸地化することです。八郎潟干拓工事は昭和32年に始まり、昭和38年に堤防と干拓地内の水をくみ出すための排水機場が完成しました。当時、7億トンと推定された水は2箇所の排水機場からくみ出され、干拓地内の水位は徐々に下がっていきました。そして翌 39年9月、比較的水深が浅い八郎潟の西部を中心に、約6,000haの湖底が姿を現しました。この面積は、中央干拓地のおよそ35%に過ぎませんが、水量としてはおよそ90%が排水されていました。
 同年9月15日には、湖底が姿を現した地点が一般に公開され、後に大潟村の総合中心地となる場所で1,300人もの関係者の出席のもと、干陸式が行われました。式典会場の上空には、多くの報道関係機関の飛行機やヘリコプターが飛び回り、大空から干拓地 にお祝いのメッセージが投下され、式典で披露されました。
 その一方で、湖底に誕生した大地の表面にはたくさんのシジミの貝殻がありました。訪れた多くの人 たちは、その姿を複雑な思いで見つめながらも、新たな大地の誕生を祝ったのでした。現在、干陸式が行われた場所には「八郎潟干拓記念碑」が建立され、関係者の干拓工事への思いを知ることができます。また、その入り口にはかつての八郎潟の水面の高さを示す水位標が設けられ、八郎潟の水深を実感することができます。