大潟村のジオサイト

入植者は一年間ここで訓練を行いました
旧八郎潟入植指導訓練所

 八郎潟中央干拓地の建設の目的は「ほかの地域の模範になるような新農村を建設する」ことでした。そのため国は、八郎潟中央干拓地に入植し、営農を行う人たちを1966年(昭和41年)から1974年(昭和49年)までの間に5回募集し、試験選抜を実施しました。こうして、後に秋田県による入植も含め、合計589人とその家族が大潟村に入植したのです。
 合格者に対しては、共同生活による1年間の訓練(第5次入植は7か月間)が義務づけられていました。訓練を行った場所が八郎潟入植指導訓練所です。本館や宿舎棟や整備工場などが設けられていました。現在は2棟が残るのみです。