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いざ、干拓地の排水へ
八郎潟干拓堤防最終締切地点

 昭和32年に国の直轄事業として着工された「国営八郎潟干拓事業」。昭和34年以降、堤防をはじめとする各種工事は最盛期を迎え防潮水門は昭和36年、新生大橋は昭和37年、南部及び北部排水機場は昭和38年に完成しました。そして干拓堤防完成の直前、堤防の内側で作業をしていた作業船の脱出を待って最後に堤防が繋げられた場所、それが「八郎潟干拓堤防最終締切地点」です。
 昭和38年、堤防は締め切られ、中央干拓地のポンプ排水が始まったのです。