コンテンツ番号:800 更新日:2021年03月15日

東日本大震災から10年の画像

 10年前の3月11日(金)2時46分は議会中で、常任委員会を役場二階で行っており、大きな揺れに全員役場2階から降りて避難しました。間もなく、テレビでは津波の映像が映し出され、現実のこととは思えない、映画でも見ているような映像に言葉も出ませんでした。間もなく、防災会議を開いて今後の対応を協議しました。幸い、停電以外に地震による直接の被害は無く、停電への対応が主な取り組みとなりました。

 大潟村では直接の被害が無かったことから、大潟村、JA大潟村、大潟村社会福祉協議会、ホテルサンルーラル大潟による「被災者支援実行員会」を結成し、被災者の救援に動き出すことにしました。村民や村内企業への見舞金と食糧の支援を依頼し、早々に義援米を中心に食糧(味噌、醤油、ごはんめん等)が多く集まりました。秋田県を通じて被災地への輸送を相談しましたが、岩手県も混乱していて対応できない状況でありました。
 知人の岩手県議会議員に直接相談したところ、遠野市の県議会議員の方を紹介して頂きました。そして、遠野市が沿岸被災地への救援拠点になっているので、こちらに救援物資を届けて頂きたいとのことでした。3月19日義援米を中心とする食糧と水を大型トラックで遠野へ発送しました。その後も村民や企業の支援を得て、岩手県野田村、千葉県浦安市、遠野市(2回目)へ食糧と水を送ることができました。
 また、被災地では復興計画の議論も始まり、高台移転等の新たな街づくりにおいて、一村一集落のコンパクトタウンである大潟村の特徴は参考になると思い、村集落の特徴をまとめた「農村集落の建設と村づくりの変遷」を編纂し、「被災市町村視察受け入れ事業」も開始しました。そして、編纂した冊子は被災した各県の町村会を通じ、被災市町村へ配布して頂き、仙台市と多賀城市では視察に大潟村を訪れました。
 こうして書いていて、当時のことが鮮明に思い出されます。被災された方々は尚のことだと思います。震災から10年経ち復興は進んだとは言え、今後も寄り添っていきたいと思います。

 

このページの現在位置