コンテンツ番号:846 更新日:2021年07月28日

大潟村とオリンピックと14人の画像

 大潟村は1964年10月1日、八郎潟の湖底に国営干拓事業により新設自治体として誕生しました。その9日後の10月10日が東京オリンピックの開会式でありました。
 そして、村の集落と主要道路を計画したのは都市計画家の高山英華先生です。高山先生は東京オリンピックの駒沢会場と主要施設の配置やそれらを繋ぐ道路を計画され、東京オリンピックの成功に大きく貢献されました。
 高山先生が計画した村集落は、当時としては革新的で「居住と農業(仕事)を分離」し、旧来の農村集落とは大きく異なる方式で、快適な暮らしと効率の良い農作業が出来る環境を整えました。
 その大潟村の最初の住民は6世帯14人でありました。
 それから50年後の東京オリンピックで、村が関わることを目指して取り組んできて、デンマークボートチームの合宿が2017年に決まり、デンマークを相手国とするホストタウンの認定も受け、聖火リレーの開催も決まりました。しかし、オリンピック開催がコロナ禍で一年延期となりました。
 ようやく本年6月9日に聖火リレーが大潟村に来ました。その聖火リレーは14人の走者で行われました。
 そして、デンマークボートチームの合宿は6月20日から始まり、選手9名とコーチ、スタッフ5名の14人で行われました。
 東京オリンピックと同じ年に開村した時の住民が14人、今回のオリンピックでは聖火リレーとデンマーク合宿がそれぞれ14人で行われました。
 50年を経た、大潟村とオリンピックと14人のつながりでした。

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