コンテンツ番号:644 更新日:2022年11月16日

私は在京の大手新聞社に報道カメラマンとして勤務をしてきました。「大学紛争」や「浅間山荘事件」、「日航機墜落事故」などの事件・事故や、「日曜版」などの企画連載のため、国内や海外で激動の時代を見つめ、記録してきました。2004年の60歳、転勤先の名古屋で定年を迎えました。

その後の2年間は、定年後の生き方を模索する期間として、「名古屋市災害対策委員」や「市区政協力委員」などの地域活動にも力を注いできました。
名古屋は暮らしやすい街でしたが、土や緑がある生活への欲求が止み難く、移住先を探し始めました。偶然目にも目にしたインターネットで、「大潟村情報発信者入村事業」の情報を知りました。

平成17年3月、「情報発信者」として大潟村への移住を認められ、名古屋を引き払い「終の棲家」を建て、新たな人生のスタートを切りました。かつて大潟村へ入植された方々と通ずるものがあるかと思っています。

村内でもよく見知らぬ方から、「一体どんな暮らしをしているの?」と聞かれることがあります。「日により多少の違いはあるものの、午前中は情報発信者として移住以来継続している『ホームページ・大潟村日記』の作成や更新。そして新聞購読や読書などを。午後は写真撮影や健康のためのウォーキングなどの屋外の活動の暮らし。1日あと2時間ほど欲しい」と答えていますが、これは本音です。

特に、大潟村役場公式ホームページ『情報発信者のサイト』にリンクしている私の「ホームページ 大潟村日記」と、「ブログ 風の便り」には全力を注いで現在発信中です。「昔取った杵柄」のせいか、この情報発信作業は、私にとってはこの上もなく刺激的で充実した作業です。これらの情報源の多くは、私が所属する大潟村の団体やグループである「写真クラブ」、「木炭水質浄化研究会」(通称『炭焼きの会』)、「山友会」、「歩くスキーの会」、「大潟の自然を愛する会」などからです。村の方々との交流を通じて体験したことが中心ですから、村がその時々に直面した問題や話題を記録していると確信しています。大げさに言えば、大潟村や日本が直面する問題や出来事を、自身が撮影した写真と文章で発信しています。この「草の根的な日々の暮らし」こそが、この制度の目的である「入村制度」の精神に根ざしていると自負しています。

「本職」である写真については、「全日本写真連盟秋田県本部名誉顧問」という肩書を頂戴しました。更に、2か月に1度の割合で開催している、「同連盟秋田中央支部」の例会では作品の講評・指導を。また毎月、「同連盟北見支部」と「青森支部」会員の写真作品についての講評・指導をしています。
「山友会」ではその一員として、毎年実施される「村民登山」や子供たちの公民館行事「きらきら塾」に協力しています。山仲間と県内や県外登山に参加しますが、山歩きは健康にも最適。「山友会」では多くの友人を得ました。下山後の温泉と「反省会」がまた楽しみ。この喜びのために苦しい山歩きをしているようなものです。

先日は北欧の杜で開催された「県民歩くスキーのつどい」に、「大潟村歩くスキーの会」として参加し5キロを完走しました。ただ当日は「大潟村芸文祭」と重なり、「写真クラブ」として写真展には参加できましたが、公演部門を見ることが出来ず、ブログで全体を紹介できない事が悩みの種に。

「木炭水質浄化研究会(通称炭焼きの会)」の活動も、“村の松くい被害の松の樹を炭にしよう”という発想に惹かれ、移住後すぐ仲間に入れていただきました。
炭自体の効能も興味深く、干拓地の大潟村らしい水質浄化の取り組みにも加わり作業をしています。作業の合間には、炭焼窯の傍らの木の根っこに腰を下ろして囲む「ガッコ茶っこ」が、村の方々との気持ちを通わせる楽しいひと時になっています。

更に数年前から、村の「梅の木」オーナー制度に登録し、「梅林オーナーの会」にも名を連ねました。冬の選定、初夏の収穫作業などに関わります。この梅は自分で「梅漬け」として漬け、健康食として食卓を飾ります。

健康維持のため毎日、村の外周をウォーキングしています。
その途中、「この野菜を持っていきなさい」と声をかけられる事があります。
そのような時には、月日を重ねて村の方々と築いた交流の輪が広がり、本当に移住が正しかったと確信が出来、うれしくなります。

この地方には「何にでも加わること」を揶揄する方言がありますが、どうも最近の私にもこの傾向が見られます。つい最近も、健康管理上「スイミングクラブ」に入り、水泳を始めました。「書道」にも強い興味があり、本当は指導を請いたいのですが、これ以上手を広げる事は自分のスケジュール管理が出来なくなる恐れがあり、自重しています。

私にとって「入村制度」はあり難い存在ですが、一方では高齢化の波に見舞われ、定員を満たすに至っていません。しかしこの事業の理想は、「様々な業種、職種の人たちが村に住み、共にコミュニケーションを持ち、学びながら日々暮らす」という事にあると思っています。日々、年々、知り合いが増え、教えていただくことが多く、充実した日を送っています。