コンテンツ番号:845 更新日:2021年07月21日

「ジャパンパックライス秋田工場落成式あいさつ」の画像

 ジャパンパックライス秋田の無菌米飯工場の落成を心からお喜び申し上げます。
そして、会社設立と工場建設に関わられた皆様に心から敬意を表します。
 また、今回の事業は消費税を除くと約18億の事業費で、国から半額の9億と県から1/6の3億と合わせて2/3の12億の補助を得て事業を進めることができました。国と県の関係する皆様に心から感謝申し上げます。
 また、こうした予算については金田先生のご尽力が大きく寄与し、大潟村に事業を引き込むことが出来ましたこと、先生にも深く御礼申し上げます。
 八郎潟干拓により八郎潟の湖底に1964年10月1日大潟村は新設自治体として誕生しました。その9日後の10月10日が東京オリンピックの開会式でありました。
 この度、奇しくも今の東京オリンピックと同じ時に竣工を迎えたことは、感慨深く思っております。
 この50年の大潟村の歩みを振り返ると共に、今後の50年を考えた時パックライス工場が大潟村に設立された意義は大きいと思います。
 モデル農村として設立された大潟村ですが、この50年は様々なことがあり国と対立した時もありましたが、耕作放棄地を出すことも無く大規模農業生産に取り組んできました。また、農家の宅配事業や米販売会社設立、さらには6次産業化で米粉を中心にした製粉、加工事業を立ち上げ、グルテンフリーパスタや米粉の餃子など開発してきました。更に、輸出促進協議会を設立し国の支援を得て、輸出にも取り組み「こまち協会」や「餃子計画」は大きな成果を上げています。近年、高収益作物としてタマネギの栽培にも取り組み、成果が現れてきました。そして、今回のパックライス工場竣工です。
コロナ禍で世界が大混乱の中にあって、社会状況が大きく変わり、生活様式も変わりました。また、日本は人口減少が更に加速する様相ですが、反面、世界はベビーブームもあり人口が更に増えています。
 こうしたなか、日本農業は輸出に向かうしか生き残れない状況にあります。
ジャパンパックライス秋田は輸出にも取り組むこととして準備を進めています。秋田の大潟村から、輸出に取り組む実績は他の農村の励みになると思います。
 大潟村はいままで「大規模農業のモデル農村」でしたが、今回を契機に「豊かなで高度なモデル農村」として歩みを進めてまいります。パックライス工場はその象徴となります。
農業生産はスマート農業で、生産された農産物を加工する6次産業化を大規模な事業として行い、さらには輸出にも取り組み世界とつながっている。こうした事業に関わる人々が暮らす「豊かで高度なモデル農村」を目指していきたいと思います。
 コロナ禍において、オリンピックを契機に大潟村から「豊かで高度なモデル農村」を、県内はもとより日本に広げていくよう一緒に取り組んで参ります。
 ジャパンパックライス秋田の益々のご発展と本日ご参列の皆様のご健勝をご祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。